水曜日の12時は1週間の半分です。

仕事を通して得た気づき、読書記録などを。

奥さんの出産予定日に出社するかという問い

少しリラックスしたい時に、いつもランチを共にとる同僚がいる。今日も彼とランチをとった。

彼の奥さんは出産を控えている。初産ということもあり、同僚は何かとそわそわしている。そして出産経験のある私にいろいろな質問をくれたりする。そういうの、自分の体験を追体験できる感じもあり、すごく微笑ましいなあと思いつつ、わりあい熱心に教えたりしている。

彼は今、出産予定日に出社するかということについてとても悩んでいる。

初産の場合、実際の出産日は予定日より遅れがちであり、休んでしまったら、本当の出産日に休みにくくなるということを、まず第一にわたしは主張した。出産予定日にはいつも通り出社することを勧めたのである。その回答の妥当性については、わたしにしては珍しく全然悩みもせず、当たり前であり最善の選択だろうと考えていた。(会社による彼の職務上の評価が必ずしも高くないことも考慮した上で出した答えでもあった)

彼のそれに対する回答はこうである。
出産というのは一生に何回もないことであり、万が一その日に生まれてしまったら、その日に休まなかったこと、そばについていてあげなかったということが、きっと奥さんの心に残ることだろう。出産するかもしれない日を一人で心細く過ごさせるのは、不本意であり、自分としてはそばにいてあげたい、と。

私は、彼の言葉によって目が醒める思いがした。職務上の評価と彼の奥さんへの心遣いは絶対天秤にかけてはならないものだと気づく。人への優しさや気遣いは大きな大きなかけがえのないものであり、否が応でもそういうものを天秤にかけなければならないこの環境の不自由さ、不自然さを改めて自覚する。
彼と話しているといつも、どちらかというと集団の利に意識を向けがちな自分の視点がグワーッと変わり、一気に見えない部分が見えるようになる思いがするのである。

私はどちらかというと、彼の笑顔と人懐こさだけに魅力を感じて、共に時間を過ごすことを選んでいた気がするけれども、自分には無い視点をくれる大切な友人としてこれからも彼の存在を大切にしていこうと、改めて思ったそんな1日。