水曜日の12時は1週間の半分です。

仕事を通して得た気づき、読書記録などを。

優しさを循環させる社会と、あるおじいさん

若い頃に年上の人に世話になったら、そのお礼は本人にするのでなく、自分が歳をとった時に若い人に優しくすることで循環させようっていう類の話をたまに見聞きする。

その度に思い出すのは、前の会社の社長のことだ。
数年間働いたその企業で退職をきりだすとき、私は何を理由にしようかと考えあぐねていた。
勤務態度は良好で、そこそこ優秀だった私は、人や会社の悪口をいうこともなかったからか、社長にとても気に入られているのは明白だったからだ。むしろ、気に入られているからこそ、忠誠心を期待されて面倒な状況だった。だからこそ社長に対して話を切り出すのにとても苦労した。

結果としてシンプルに辞職の意を告げた。そして、その場を円満に収めるためだけに、いろいろなことを学ばせていただいたのに、何も貢献できずに辞めることの心苦しさについて述べた。
本心としては、あまりに退屈な環境と、成長性のない企業体質に嫌気がさしていたからこそのことだったのに、いろいろなことが面倒であったあまりに、言うなれば私は嘘をついたのだ。

社長から帰ってきた言葉が、冒頭のものだった。つまり、私が職場から受けた恩は、歳をとった時に若い人に返してくださいね。ということ。社長はとてもいいことを今話しているということは理解できたが、全く心に響かなかったのは、社長に対して全く恩義を感じていなかったからだろう。

そのときに、強く思ったのは、じぶんが本当にそう思っていないことは口にするべきではないなあということ。だって、残念じゃないか。せっかく社長がいい話してくれたのに、受け手に全く響いていないのなんて。ひどいのは私である。

彼は、私が退職した次の日に、すでに帰らぬ人となっているのだけど、この手の、優しさ循環型社会についての言及を見るたびに、彼のフッサフサだった白髪。すり足で歩く癖。おじいさんなのに、とんでもなく体に悪そうなお菓子ばかり食べていた様子を思い出すのである。