水曜日の12時は1週間の半分です。

仕事を通して得た気づき、読書記録などを。

誰かと出会わなければよかったと、心底思うことはありますか。

ある人と出会い、話をする機会があった。これはその時、感じたことを文章化したものである。

誰かと話をするときに、純粋に自分が話したいことを話すことは、私にはほぼない。

私にとって、会話とは、一緒にいることになった人と過ごす時間を埋めるために、この人が関心を持って聞けることは何か、この人が話したいことは何かと探求してその穴を埋めることである。いうなれば作業に近いものである。
頭の中で必ずフィルタをかけて、適切な話題を適切なタイミングで投入することに意識を集中している。
何かの見返りを得るために良い関係を築きたい場合や、自分もその人に対してより深くコミットしたい場合は、相手の関心の輪と、自分の関心の輪の共通する部分を模索しながら探すこともある。

しかし、自分の考え方や、誰かと共有したい自分の価値観を、相手に対して純粋に話せることはほとんどない。私にとっては、家族でさえもその対象ではない。

しかし、ある人と出会い、彼には、ごく自然に何のフィルタも通していない自分の素の価値観を、何の打算もなく話すことができた。どうしてかは全然わからないし、そこに関しては何の分析もしていないのだけど。


誰かに、純粋に自分の話したいことを聞いてもらえ、しかと受け入れてもらえた経験は一見、私のようなものの人生にはとても良い印象的な経験だと解釈しうる。しかし、私は彼に受け入れてもらったせいで、それまで自分がいかに人々に自分を開いてこなかったか、あるいは、いかに孤独であったかを、ありありと、しかも鮮やかに認識するきっかけになった。今感じているのはとんでもない孤独である。

ここから、私はまた変わることができるだろう。彼のような人を身の回りに増やすことだって可能である。
しかし、今思っているのは、孤独を感じるのはしんどいということである。彼には出会うべきではなかったという思いに安易に流れてしまいそうでもある。