水曜日の12時は1週間の半分です。

仕事を通して得た気づき、読書記録などを。

環境への不適応と私の涙

社会人になって、結婚して、子育てもして、周りとは良好な関係を築いて、生き方がどんどん上手くなって、対人関係などに悩むこともなくなり。ある意味イージーモードだった最近。

今日職場にてがつんと、指摘されたことがあって不覚にも涙してしまった。新人研修の振り返りを適当に書いて出したことが事の発端である。要は期待値と著しく下回った内容を提出したことによって先方を失望させ、今後の軌道修正を余儀なくされたということである。

なぜ、私はあの時に涙したのだろうか。
自尊心を傷つけられたから?
今までのじぶんの行いが恥ずかしかったから?

私が今まで生きてきた環境ではある意味、いい意味でも悪い意味でもゆるさがあり、もしくはある種のゆるさを受け入れる土壌があった。おちゃらけたり、笑いを取るためにちょっと抜けているところを見せたりしても、許され、尊重される土壌があった。しかし、今いる環境は完全に違うということを今日改めて知らされ。

上司から、いつも真剣に、言葉を出す前に散々考えた上で発するように、注意をしたほうがいいと言われた。言い訳とか、ゆるさとかはいらない。ここはすごく厳しい環境であること、個人個人が高い山を目指して登っているのだと。プロの集まりであり、あなたもプロとして雇ったのだと。

あ、私新人じゃなかったんや。プロとして雇われてたんや。って気づくことができた貴重な日。本音で注意される環境に深く感謝、合掌。な1日。

冒頭で述べたように、大人になって、そこそこ要領よく社会人生活送ってると、誰も注意なんてしてくれないし、じぶんの軌道修正も難しい。今回、注意を受けたことについて、私は自分のどこかが悪いとは全然思わないのだけど、要は、今回のことは「環境への適応が上手くいってない」というフィードバックと解釈している。こういうフィードバック、純粋にありがたいな〜と思う。ここから軌道修正して、とりあえず、おちゃらけず、真剣に、周りへの影響を熟慮した上で言葉、文字を発するように軌道修正。

PS:涙の理由、わかったかも。環境への不適応を指摘された時に自分の何かが傷つけられたような気になったのだと思う。自尊心を傷つけられ、恥ずかしかったからに違いない。いいね!